本当にいつも元気過ぎるほど元気で、とても情熱的な男でした

彼ほど「劇団四季」を愛していた人を、おみつは他に知りません。
演劇や演技、後輩や仲間たち。もちろんお酒も。

本当にいつも元気過ぎるほど元気で、とても情熱的な男でした。

浜畑賢吉さんの訃報を知ったとき
信じられない気持ちでいっぱいになりました。

育ちが同じ世田谷で、三軒茶屋と駒沢とでお隣さん。
そんなご縁もあって、ラジオ番組で話す機会をいただきました。
今でいうところのフリートークですかね。
2人の母校駒沢中学校の校長は怖かったとか
「タンチ山」という小さな丘みたいな森でよく遊んだとか
今はなき玉電(玉川電鉄)の話などなど、
地元トークに思いっ切り花を咲かせたことを思い出します。

ハマとの共演は、ざっと覚えているだけで

◯1977年(今から47年も前!)
*サルトル 「汚れた手」
*シェイクスピア 「ヴェニスの商人」

◯1978年 
*チェーホフ 「桜の園」
*アヌイ 「ひばり」

◯1982年
*ミュージカル  「アプローズ」
*シェイクスピア 「ハムレット」
*シェイクスピア 「ロミオとジュリエット」  

◯1988年の劇団四季創立35周年記念公演
*ミュージカル 「夢から醒めた夢」

◯2007年 ※劇団を離れてから
*ミュージカル 「タイタニック」

ストレートプレイが多かったようです。
「夢醒め」ではハマと2人部屋でした。
気をきかせて持ってきてくれたワイヤレス・マイクを
慌て者の私が取り違えたことに幕が開いてから気づき
大変な騒ぎになったことなど今となっては懐かしい思い出です。

劇団を出てから初めての共演となった「タイタニック」では
お互いの家から近い稽古場だったので
劇団四季での思い出やその時の役についてなどを会話しながら歩いて帰りました。

ゆっくり話す時間が取れて
久しぶりにハマとの楽しい時間を過ごせました。

タイタニック初演
タイタニック初演 

そんなことをいくつもいくつも思い出しながら、彼の元に駆けつけました。
覚悟を決めて部屋に入ると、そこには目を閉じて、静かに横になっているハマがいました。
もう、事実を受け止めるしかありませんでした。

文筆家でもあり、大学も舞台に後進の指導にも積極的に取組んでいました。
まだまだやりたいこと、成し遂げたいことがいっぱいあったことでしょう。
ハマとのたくさんの思い出と、熱い思いを大切にしていきたいと思います。
安らかにお休みください。

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